◎心を込めて修行をさしてもらう。そして、自分達の頂いておる神様、自分が拝んでおる神様という神様が、はっきりしとかないと。大きな神様を頂いているのだから、頂上へ着いたからというて安心しない。迷いもしない。大きなことを願っていれば大きな信心ということではない。迷わんですむ信心が大きな信心。迷いが起きたら、いよいよ追求せねば。神様を分からせて頂く修行をせねば。P,シンカン
%A「小さな信心は行きづまる、大きな信心に行きづまりがない。」御理解(時期不明)迷いがないということ。
昭和四十三年二月七日 夜の御理解
X御理解第八十一節 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
御理解八十一節です。こういう様な信心をさして頂かなければ、ならんのですけれども。それにはやはり、それだけ心を込めて修行をさしてもらう、信心をさしてもらう。さらに自分達の頂いておる神様、自分が拝んでおる神様という神様が、はっきりしとかないと、もう九里半のところで、やれやれと腰を掛けたり、ね、頂上に着いたら、もう大丈夫と思うて安心をしたりするのですね。
これではおかげにならん。向こうへおりたら安心。そこんところを頂かせて頂く為にですね、これも御理解の中に、「大きな信心をせよ。迷い信心ではいかん。此方一心と定めい」。そういう御理解があります。大きな信心をせよ。ここでおっしゃる大きな信心とは、どういう信心だろう、ね。また、次に迷い信心ではいかんとこうおっしゃる。ね。
結局私は、大きな信心といや、金光様の信心ぐらい、大きな信心はないと思うんですね。天地の親神様、天地の親神様が、私共の拝まして頂く対象なんです。それを教祖金光様のお取次によって、その天地の親神様のおかげを受けられるようになるというのが、お道の信心ですから。大きな信心をしなきゃいけない。
大きな信心。ですからね、私共は、いかにも、なら天地の親神様を拝みよるようであってもね。何かに直面した時に、迷うような事があったとしたら、自分の信心がね、大きな信心をしていないのだ。金光様がおっしゃる本当の神様を頂いていないのだと、まず知らにゃいけんのです。ね。迷い信心ではいかん。一心に定めていない証拠なんです。此方一心と定めい。
%A『小さな信心は行きづまる、大きな信心に行きづまりがない。』これは、私が頂いだ御理解なんです。ね。大きな信心には行きづまりがないのです。ね。様々なその、やはり信心があるんですよ。ね。けれども、私達の頂いておる信心は、いわゆる、いよいよ大きな信心、だけど、その大きな信心を頂いておればです、ね、迷わんですむおかげを頂かにゃいかん。
そういう迷わんですむおかげ。此方一心と定めておるから、例えば、その十里の道を、ね、九里半登って、やれやれという様な事もなからなければ、頂上へ着いから、これで安心という様な事もない。いわゆる登り切って行けれる、私は、信心が続けられるとこう思うのです。ね。
迷い信心ではいけません。私は、この御教えの、非常にもっと深いと思うんですね。大きな信心をせよ。ね。迷い信心ではいかんとおっしゃる。ね。あれに迷い、これに迷う様な信心じゃいかん。ね。だから、その大きな信心を、実は頂いておれば、金光様の信心を頂いておるから、大きな信心とは言えないのである。ね。
私共が、一心と定めさしてもろうて、どのような場合でも、迷わんですむ、動じないですむ。ね。緩める事のない、いうなら十里の道を、ね、「氏子、十里の道を九里半登っても、安心してはならんぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」とこうおっしゃる。ね。
ですから、そういう、その大きな信心を頂かせて頂く為にも、ここんところも、分からなければいけない。いわゆる修行し抜かなければいけない、という事になりますね。今朝あたりの御理解は、そこん所をいろいろな角度から、説き明かしてありますね。そこに御徳の頂ける道がある。
お互い、氏子一心と定めいとこうおっしゃる。まず一心に定める所から、ひとつ掛かっていかなきゃならない。ね。そして、いわゆる、まあますという信心が大事。そういう信心から、まあ大きな信心が分かるのじゃないかとこう思うのです。ね。
迷いが起きたりする様な場合、結局、自分の頂いておる、自分が唱えておる神様は、天地金乃神だけれども、ね、そういう大きな信心に、まだなっていないと言う事を、ひとつ悟らして貰うて。ね。いよいよ大きな信心を、一心と定めて求めていかなければならん。此方一心と定めい。ね。
本当に心に定めさして頂いての信心。そして、おかげは九里半だから、頂上へ着いたからというて安心は出来ない信心。そういう信心を、いよいよ身に付けていかなければならんと思う。ね。氏子、大きな信心が良い、と信心は。大きな事ばっかり願う事が、大きな信心と間違えておる人がある。ね。迷わんですむ信心が大きな信心なんである。
ですから、私共の上に、迷い信心、迷いの心が起こったりする時にです、いよいよ追求していかなければ、いよいよ神様を分からして頂く、修行をしなきゃあならん。そこんところを、油断なくやらして頂かなければ、その大きな神様が分からん。大きな信心が分からん。ね。一心に定めて、大きな信心をいよいよ頂きたい。どの様な場合でも、迷わんですむ、動じないですむ信心を頂きたいと思う。どうぞ。